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待てば海路の日和あり

 ― たとえ時化(しけ)が続いても、待っていればそのうちにかならず航海に適した穏やかな天気になる。じっくりと好機を待てというたとえ 


 2022年4月より、同じアパートの1階に引っ越しました。誰にとっても入りやすいですし、外からよく見えるから安心です。なにより階段を上らなくていいから楽です。配送業者さんも遠慮なくガラスのドアを開けて入ってきます。

 3階の時は、なにしろ普通のアパートの一室でしたから誰でも入るのをためらってしまうのでした。鉄のドアを常に開放していても、例えば教材屋さんは一度も入っては来ませんでした。

 しかしどうでしょう。一階のガラスのドアの店舗に移ったら、教材屋さんはその初日に、何も言わずにガラスのドアを開けて入り、さっさと靴を脱ぐではありませんか。これが店舗というものでしょうか。実に人間の常識、社会対応能力、適応能力を感じます。人は無意識に、そこは遠慮なく入っていいところなのかそうではないところなのかを判断しているんですね。

 

 そもそもなぜ3階で、しかも普通のアパートの一室で塾をやっていたかというと、単純にそこしか空いていなかったからです。1階に店舗があったことは知っていました。当時そこは真っ暗で、その一室を窓からのぞき見て、不動産屋さんに「ここは空いていないんですか?!」と尋ねたものです。真っ暗なその店舗は、しかし倉庫のような形で使われていたのです。利用者がすでにいたのです。残念ながら一階路面店で塾を開くことは叶わず、3階のアパートの一室で始めることになったのでございました。

 やがてそんなことは忘れ、高校受験も終わった3月のある日、大家さんが「1階空くけど(興味ないよね?)」とおっしゃるではありませんか。電飾看板のスペースの空きを教えてくれたり、いろいろとお世話になっておりますが、またも大変ありがたい情報と提案をいただき、二つ返事で借りることとなりました。無事に、晴れて1階店舗に移ることが出来ました。


 当初アパートの一室で塾を開くと話したとき、呆れ笑われたこともありました。しかしそれでいいのです。笑った人を批判することも必要ないのです。わたしはわたしであり、行動するのもしないのもわたしだけです。笑わば笑えばいいのです。それに私も数々人を笑い、傷つけてきたに違いないのです。


そういうわけでいろいろ問題は山積ですが、とりあえずは晴れて塾らしい塾で、現在学習支援ができています。待てば海路の日和が、あるものでございます。

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