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名言についての所感  泡坂妻夫篇  3/4

更新日:2021年3月10日

 どうしてこの、「子どもは紳士に仕立て上げてから物事に当たらせなければならない」という教えを、教職免許皆伝においてどうして具体的に伝えないのか、今では不思議に思います。これはある程度技術です。気の弱い先生であろうと、後天的に習得できます。私はおよそ免許と縁がない人間なので、教職免許については何もわかりません。しかしその習得内容にこの人間を制御するノウハウがないようだということは、なんとなく想像がつきます。

一度混乱した現場を立て直すのは困難です。そうなる前から制御しておく必要があります。しかしそれを多用すると、今度はクラスそのものが委縮してしまい、静かでつまらない場になることがあります。皆がリラックスして、落ち着いて先生の話に耳を傾け、思ったことを軽く口に出し、しかしながらそれは適度に場をわきまえた発言で…とこうなれば理想的ですが、なかなかそのような場を作るのは難しいのです。

一度騒然となった授業を、その時間だけで元の状態に引き戻し、落ち着いた学びの場にするのは困難を極めます。そのとき先生にできることは、「激怒」するほかないことも多い。すると生徒は、少なくとも静かにはなります。しかしそれが学びの場としてはどう機能するのか、どうもあまり効果的だとは思えません。またこれを毎回やっていると、だんだん慣れてきて、今度は、生徒たちは試し始めるのです。この人はどこで激高するのだろうか、どこまでは怒らないのだろうか…こうなると一年間を通して教えていくのはなかなか難しくなる。

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