勉強するということ②
- sojisakurai
- 2020年2月25日
- 読了時間: 4分
更新日:2020年2月28日
ひとを生かすもの、動かす力、モーターやエンジンのようなものは目に見えません。心は目に見えません。あるかどうかも実は解明されてないのです。ひとは、ひとのことがほとんどなにもわかっていないのです。だから正しいことは実はなにも判明していないのです。したがって何を学べば正解で、何を知らないことが正解なのかも、実はだれにもわかっていないのです。
ひとがひととして判断し、ひとと接して、人間社会で生きていくということは、ほとんど目には見えないもので構成された数々の要素の集合体のほんとうに小さな化学反応が、その接触の中で起こります。その一瞬の判断、一瞬の行動、一瞬の心の動き、それらすべてが、今まで、そのひとが生まれて今に至るまで、見て聞いて考えて入力してきたもの、出力してきたもので構成されます。その一瞬の判断、行動をするとき、知識があればあるほどよいし、情報は多ければ多いほどよいわけです。そのことは三歳児と比べて考えればわかるのではないでしょうか(ちなみに三歳児、というより子どもは、大人よりはるかに優れた数々の能力を持っているのですが、それはここでは問題にはしません。人は小さいときに持っているあまりに優れた能力を急速に失っていくので、仕方なく勉強するともいえるかもしれません。でもそれはまた別の話です。三歳児を侮っているわけではないことを伝えるためにはさみました)。もちろん情報が多すぎるが故のミスもあるかもしれませんが、それでもやはり多いほうがいい。全体としてみれば多いほうが圧倒的によかろうと思うのです。またその情報も、可能な限り整理された形で、系統立てて理解しているほうが、一瞬の判断には適用されやすいのです。
2人のダンサーの動きを思い浮かべてください。2人のダンサーが簡単な、同じ動きをするとき、関節の可動域が広いダンサーのほうがその簡単な、同じ動きをしてもしなやかに見えるのです。それは心の余裕かもしれないし、実はミリ単位で動きがダイナミックなのかもしれないし、その他のパーツの動きかも知れないし、表情かもしれない。それらすべてかもしれない。いずれにしてもやはり、可動域の広いダンサーの動きがしなやかに見えるのです。
海に浮かぶ2つの三角形(三角錐)の氷山を思い浮かべてください。ひとつは海水中に1000メートルの土台を持ち、もう一つはその半分の土台しかない。水面上では違いほとんどはわかりません(1000メートルのほうが水面上に突出しているから一目瞭然だよ!というような物理的なことは、この際目をつぶってくださいね。形而上的な世界でのはなしです…)海が荒れた時、より揺れないのはどちらなのかということと似ていると思います。水面下に隠れた氷山は、見えません。しかし確実にあなたを生かし、形作り、守ります。でも絶対にそのものは見えない。
学校で学ぶ勉強が、すなわちその氷山の土台の部分です。水面上では見えません。でもたしかにそこにはあるのです。決してなくなりません。忘れたってなくならないのです!かつて学んだのなら、必ず、川をすくった目の細かいザルの中の砂金のように、小さな何かが必ず残っている。これにこそ価値があるのです(ちなみにこの部分は太宰治の受け売りです)
一見するとわからないが、状況によってその差が、思いもよらないところで出たりするのです。または日常生活の中で、常に発露するのです。その人が小説を読んできた人か、映画を見てきた人か、演劇を見てきた人か、スポーツを見てきた人か、勉強をしてきた人か、旅行をしてきた人か、じわじわ露呈するのです。それは大人になってから始めても、効果はゼロではありませんが、非常に低いといわざるをえない。それは日本で一生懸命英会話の勉強をするのと、海外で生活したときの習熟度と似ています。海外での習熟度は、空気から違うので、これはもう比べようがない。それくらい違います。(でもやらないよりはやったほうがいいから、わたしなども勉強するわけですが、効果は実に低い…)
だから小学生、中学生、高校生は無駄なことを学ぶほかにないのです。人間である以上は。それが人間であるということだからです。
そういうわけで、完成したジグソーパズルを解くことも、実に意味があることで、勉強もしかりです。中学生たちよ。堂々と勉強したまえ。今はいいんですよ、それで。
そういうわけで、無駄なことこそ、それが無駄であるからという理由で、実に必要で有用なものなのです。無駄な勉強ほど率先してやりたまえ。それは無駄であるという理由で、つまらないならつまらないという理由で、まったく無駄ではないのです。
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あくまで個人の見解です。いろいろな考え方があってもいいと思いませんか。ちなみに村上春樹は学校の勉強とは「我慢強さを身につけるための訓練だった」と著書の主人公に語らせています。それもまたひとつです。問題はそこから何を学ぶかです。何を採用するかです。自分自身でどう世界と折り合いをつけるかです。将来役に立つから勉強しておきなさい!という考えも、当然あっていいと思います。自分で考えるんだみんな!その考える礎を作るのが、すなわち無駄な勉強なんですが。
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