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勉強するということ①

更新日:2020年2月28日

 数学なんて社会に出て使わないじゃないか。英語なんて話さないから英語を勉強する必要なんてないんじゃないか。というような恨み節はよく耳にするのですが、まったくその通りで、社会に出て使うのならその時に勉強すればいいのであって、いまやる必要性はまったくないのです。社会に出てから使わないからこそやるのだ、ということがなかなか理解されなくて、いつも残念に思っています。

 話は非常にシンプルで、小・中・高での学校の勉強はほぼのちに直接的に役に立つようなものはなく、実用に適するものはその現場で学べばよいのであって、のちに学ぶ機会がないものをこそ学ぶのです。だからこそ、小・中と、10年くらいかけて一見壮大な無駄と思える英数国理社、技家体音美とざっと分ければそういう科目を勉強するのです。ではなぜのちに学ぶ機会がないからという理由だけでそんな無駄なことをするのかというと、「それが無駄であるから」というのがその理由なのです。実用に適するかどうかでこの9教科が決められたわけではないのです。実は学ぶ内容はなんでもいいのです。それがある程度体系的にまとめられるものであれば、科目の分け方もそれほど重要ではないのです。実際国語ができないと数学の文章問題はわからないし、英語の文法は理解できない、数学の計算ができないと理科のある種の問題は解けなかったりします。それを先人たちの英知で、長い年月をかけて、主要科目5科目(まあ中学校までですけれどね)に体系的にまとめたわけです。もちろんこれで完成ではありません。それが証拠に5年に一回教科書の改訂が行われたり、大学入試のシステムが変わったりします。そして中学卒業までにだらだらと細かく細分化された単元ごとに、ちまちまと生徒たちは入力させられていくわけです。そしてそののち、それらの知識はどうなるのか?まったく無駄なのか?そう、無駄なんです。無駄であるからこそ、しかし実はそのことに大きく意味があるのです。

 ちなみに算数の足し算引き算は買い物に役に立つじゃない、とか英語が話せると海外のひととコミュニケーションがとれるじゃないか、とか天気を学んでおくと生活に役に立つんじゃないの、などと思うかもしれませんが、それはあくまで副作用。レジが勝手に、しかも正確に計算してくれるし、翻訳機もあるし、天気予報もあるじゃないかとなるわけです。だからこれは主作用では実はないのです。続きはまた次回。




 
 
 

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